死別からおもうこと
- 2021.10.01
幾度と経験をくり返してみてもまったく慣れることのできない死別。
それも突然の死や若い人の死を受け入れるにはかなりの時間を要する。
このおよそ1年半の間は目に見えない脅威との共存をどう乗り切れるのかと向き合った日々。
身近な人から感染したと報告を受けるたびに回復への祈りと同時に
大切な人を失う日がまたやってくるのではないかと、恐怖や不安に包まれた。
それでもそんな日々のなかにあって希望を忘れずに未来に期待して生きていられたのは、
生なる存在たちであった。
肉体をもった信頼できる人たちとの日ごろからの関係性によって、幾度と救われた。
肉体を伴わない魂との対話によって勇気を与えてもらった。
経済的な不安から去っていく人達もいれば、自分の主張のみを伝え縁が切れる人もいる。
「死別」と違う「生き別れ」は、また違った意味で心が傷つく。
しかし、そんな心の痛みを伴う経験は、より強縁な人との信頼関係を築いてくれる。
これからますますの活躍が期待されていた若き研究者の死。
結婚を夢見て、仲間たちとこれからも仕事に励むことを夢見た若者の死。
思い立ったらすぐに会いに行き、話しができるその大切な存在との出会いを、
私はちゃんと大切にしていたのだろうか?
会いたいときに会いに行き、話したいときに話しをしていたのだろうか。
明日があると妄想し、希望や夢見ることは大切なこと。
でも、明日はないとおもい「いま」に生きることを忘れてはいけない。
心が傷つくことを恐れて「いま」を思い切り生きることを忘れないでいよう。
「魂」の震える喜びや感動をもっと体験しよう。
明日を生きたいと願った人たちが多くいること。
その存在のなかでともに生かされていることを忘れないで生きよう。
悲しみや寂しさが癒されるときはきっと、
私自身も肉体との別れをしているときだろう。
だからこそ、悲しみのなかにも、寂しさのなかにも「喜び」が見いだせる
「いま」のわたしの人生を生きる。