“できちゃった“のではなく、“授かる命“なんだよ。と知人の精神科医に教えていただいたことがある。まさに命は自分たちの意思に反して授からなかったり、ときには授かることがあります。意志も大事なときはあるけど時として意思に反した出会いや出来事から学ばせてもらったり、気づき成長できることもあります。だからこそ、この世で出会うすべての人も出来事にも意味がある。それがまさに“ご縁“。島根の地に生まれ、大切な人たちを島根に案内するたびにこの地に生を授かり生かしていただいてることが有り難く感じます。先日久しぶりに出雲大社の千家宮司と再会の機会を頂戴し、しみじみと感謝がわいてきました。